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思い出した、篠田善之(前FC東京監督)と共に住んでいた学生アパートが火事

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先週末、大学サッカー部の親友が長野にやってきてくれた。

 

 

 

 

篠田善之(シノ)とは、中京大学での同期。
一年生の時、共にサッカー部の寮で、私は2階、シノは1階に住んでいた。
4畳半の狭い部屋で、風呂とトイレが共同。
確か40人くらいの男だけの集団が住んでいた寮だった。

 

2年生からは、寮を出で一人暮らしをして良いことになり、私とシノは同じ学生アパートに住んだ。
共に学生アパートの2階に住み、シノの部屋は、私の部屋から2軒隣りだった。
ちなみに、私とシノの部屋の間には、同じくサッカー部の同期生ハッパが、シノの部屋の下1階には、ナオが住んでいた。
サッカー部の仲間達とみんなで、学生アパートで生活していた。

 

3年生の終わり頃、私の部屋の隣りから火が出た。
部屋にいると、部屋の中が煙りくさい。
おかしいな、と思っていると、部屋に煙が。
同時に玄関ドアをバンバン叩く音が聞こえて、ドアを開けると、真向かいの学生アパートに住んでいたサッカー部の後輩達が立っていて

『 ニシさん、隣りの部屋の換気扇から、凄い煙が出ています! 』

外へ出て隣りの部屋を見ると、真っ黒い煙が滝の様に飛び出していた。
直ぐに火事だとわかった。
丁度、その時期は学期末のテスト期間だったので、もし、その部屋の住人が、午前中のテストを終え昼寝をしていたら危ない。
すぐにベランダの手すりから身を乗り出して、隣りの部屋の窓を開けてみた。
鍵が掛かっておらず、窓が開いた。
ベランダから部屋の中を覗き込むと、部屋中に煙が立ち込めていた。
ベットの枕、布団などは既に燃えていた。
その瞬間、ドカーン!と強烈な音と共に窓ガラスが割れた。
ガラスがサッシごと吹っ飛んだ。
目の前を強烈な炎が窓から飛び出して、私の前髪は燃えた。
額が、すすで黒くなった。
後で消火にあたってくれた消防士に言われた。
もし、あの時、窓の前に立って窓を開けていれば、吹き飛んだガラスと炎を浴びて、死傷していたらしい。
たまたま運が良かった。

 

後輩達と、学生アパートの全ての玄関ドア、窓をバンバン叩いた。
多くの学生がテストを終えて昼寝中だったり、部屋で過ごしたいた。

みんな外へ非難した。
消防士曰く、

火事が夕方だったこと、そして、我々が、大声で火事だ! と騒ぎ、住人全員が非難できたことで、死傷者は無かった。
あの火事が、夜で人々が寝静まっていたり、出火直後の対応が悪ければ、確実に死傷者が出ていた、と。

 

消防車が10台ほど集まり、消火作業中、シノが帰って来た。
出掛けていたシノは、自分の学生アパートの方が真っ赤になっており、消防車が、ガンガン走っていくのを見て慌てて戻って来た。
消火後、消防士が、出火した部屋が、私の隣りだった為、私の部屋から屋根裏の火が消えたかチェックしようとしていた。
部屋には、煙が充満しており、消防士は部屋のブラインドと窓を開け換気しようとしていた。
しかし、消防士がブラインドの開け方が分からず、私に一緒に部屋に入って欲しいと頼んできた。
私は、消防士の手首を掴むように言われ、もし、何かあれば、手首を引き、即座に玄関へ戻り、外へ出るように言われた。
そして、部屋の中にいる間、『絶対に呼吸をしてはならない』 とも。
もし、呼吸をすれば、煙を吸って一瞬で倒れると。
息を止め、消防士と部屋へ入っていくと、煙で全く何も見えない。
瞬時に強烈な眼の痛みでボロボロと涙が出て、目を開けられなくなった。
私は、消防士の手首を引き、玄関へと戻った。
とても目を開けられる状況では、無かった。
煙の力をまざまざと感じた。
消防士は、私に酸素マスクをかぶらせて、再度、部屋の中へ。
今度は、マスクのおかげで目も開けていられるし、呼吸も出来たし、楽チンだった。
(だったら、最初から、マスクをくれよ! と思ったが)

 

私の部屋は、火事の煙ですすだらけ。
強烈な異臭と、消火作業の影響で、部屋中水びたし。
最悪の一言だった。
シノの部屋は、出火した部屋から3つ隣だったので、消火作業の水による被害は無かった。
しかし、シノが玄関で言った。

『 ニシ、見て! 』

玄関マットをシノがめくると、マットの下は、真っ白だった。
ちなみに、マットの下は、グレーの絨毯だったが、それが真っ白に見えるくらいだった。
部屋もすすで黒くなっていた。

 

私もシノも、その晩、寝るところが無くなり、どうするか考えた末、サッカー部の監督(先生)に電話をした。
大学の助教授だった先生は、彼の研究室に来るように言ってくれた。
先生は、大学職員が寝泊りできる部屋に、私とシノが宿泊できる様に手配してくれた。
先生の知り合いのお店に電話をして、夕飯も食べさせてくれた。
先生の部屋では、テーブルにドンと一升瓶が置かれ、

『 まー、もーしょうがないから、これで一杯やれ! 』

と酒好きの私に、金賞受賞とステッカーの貼ってある日本酒を差し出した。
木箱に入った上等なお酒だった。
その晩は、大学職員の施設で風呂に入り、宿泊した。

話だけを聞けば、笑い話のようだが、私は、それから2ヵ月程、炎を見る度に恐怖感に襲われていた。
部屋が爆発し、窓ガラスが吹っ飛び、炎が目の前を通っていったことを思い出していた。
あの瞬間の恐怖が頭をよぎり、近所の畑の焚き火を見ても恐怖感があった。

 

あの火事で、死傷者ゼロ。
たまたま出火した部屋の学生も外出中だった。
そして、私達は、また、部屋探しをして、私とシノは、同じ学生マンションへ引っ越した。
シノが2階で、私が4階。
ということで、シノと私は、4年間同じ宿で生活した。

 

先日、長野でシノに会い、その晩、久し振りに火事を思い出した。
もう、あの火事から20数年経った。
あの瞬間の炎を今でもはっきりと覚えている。
目を開ける事さえ出来なかった、あの煙に、強烈な怖さを感じた。
そして、火事後の残骸、ゴミを片付けようと部屋の中にいると、私だけでなくサッカー部の仲間もみんな、頭痛に悩まされた。
部屋の中に30分から1時間くらいいると、頭痛がしてきた。
あの煙を一呼吸すれば、一酸化炭素中毒で病院へ運ばれると消防士に言われた。

 

火事、煙の怖さを、まざまざと感じた。
みなさん、火の元には、十分気を付けましょう!

今も、こうして2人で元気に会える事を幸せに思う。

 

 

 

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