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松葉杖生活、モラルを見つめなおす良い機会

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足首の靱帯損傷をして、久々に松葉杖での生活を味わった。
不便だ。
だからこそ、気付く事があった。

悔しいやら、情けないやら、怪我をしたのは自分のせいだが、松葉杖では歩くのが大変だ。
杖と腕を使いこなすのは不慣れで、かなり疲れる。
いつも、歩行の後、びっしょりと汗をかいていた。

 

高速道路のサービスエリアなど公共のトイレには、必ず、身体の不自由な方々の為に、手すりの付いたトイレがある。
たいてい、手すりの付いたトイレは、入口から一番近いところにあるため、足が不自由で長い距離を歩くのが困難な方には良い。
トイレがならなんでいる最も端なので、横に壁があり、松葉杖を立てかける事ができて便利だ。
そして、手すりを掴んで便器の前に移動し立つ事ができる。
足を怪我して自由が利かない自分には、本当にありがたい手すりだった。

 

しかし、何処のトイレに行っても、必ずといっていいほど、その手すり付きの便器を使用している人がいる。
ほぼ全ての人が足に不自由も無く、普通に歩いてトイレを出て行く人達。
彼らは、明らかに健常者だ。
ふと、トイレ内の入口から遠い奥の方を見ると、あちこち沢山空いている。
しかし、彼らは、わざわざ手すり付きのトイレを使用している。
トイレ入口に一番近いからという理由だからかは、分からないが・・・。

 

この一週間、松葉杖を使用していた俺は、どうしても手すり付きを使用する必要があった。
しかし、いつも、そこには健常者がおり、俺は、彼らが用を足すまで待たなくてはならなかった。
トイレ全体がガラガラで、あちこち空いているなのに、だ。
ある意味、トイレはがらがらなのに、特定の便器が空くのを待っている俺の方が不自然だった。

 

以前、スーパーで働いている方のボヤキを聞いた。
スーパーの駐車場には、身体障害者専用の駐車スペースがある。
そこは、身体の不自由な方々の為に、スーパーの入口に最も近い、便利な場所にある。
スペースが広く、車への乗り降りも楽だ。
そして、スーパーの入口が近く、スーパーへ歩く距離も短い。
しかし、そのスペースを、健常者が多々使用している。
たまに、身体障害者の方が車でやってきても、健常者が駐車しているため、車を止められない事もあると言う。

 

今、日本では、モラルの欠けた行為が増えている。
自分さえ良ければ、という感覚が、モラルの欠如を引き起こしていると思う。
人は、一人では生きていけない。
まわりへの配慮と思いやりが社会では必要だ。
今一度、社会全体でモラルを見直す必要があると思う。

そして、次世代を担う子供たちに、常にモラルについて考えさせる必要がある。

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