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ミュンヘンの恩人からの国際電話

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ドイツ・ミュンヘンから電話があった。

 

電話を取ると、 『 Servus Takeo 』
Servus とは、ドイツ・バイエルン地方の方言で、こんにちは。
電話の主は、ミュンヘンのヴェーバーさん。
ブンデスリーガ、1860ミュンヘンの元選手で、引退後は1860ミュンヘン育成部門の指導者。

 

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私は、1860ミュンヘン時代、ヴェーバーさんに、サッカー、プライベート共に大変お世話になった。
彼は、私にとってドイツ人の父親のような存在だ。
しかし、電話口の彼の声は、かすれて、弱々しかった。

話を聞くと、12月に自宅で倒れ、救急車で病院に搬送され、5日間意識不明だったと言うではないか。
しばらく集中治療室にいて、クリスマスから年末年始も入院していたそうだ。

 

昨年12月24日のクリスマスイブ、私は、日本からヴェーバーさんに電話をした。
何回かけても留守電になってしまい、しょうがなく留守電に 『 メリークリスマス! 』  とメッセージを残した。
翌日25日にも電話をしたが、まだ留守電。
バカンス、旅好きのヴェーバーさんなので、また国外へ旅に出ているのかな、と思っていた。

1月中旬になり、やっと退院して自宅に戻り、留守電で私のメッセージを聞き、連絡が遅くなり申し訳無いと連絡してくれた。
遅いも何も、ヴェーバーさんの電話の声を聞いた瞬間、只事ではないと思った。
いつもの声とは全く違うし、内容も聞いて驚いたし、正直、ショックだった。

 

ミュンヘン時代、よくヴェーバーさん宅へ食事に招かれ、一緒にミュンヘン名物の白ビール(ヴァイスビアー)を一緒に飲んだ。
飲んだ後は、よく自宅に泊めてもらった。

 

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ヴェーバーさんと私は、ブンデスリーガ、1860ミュンヘンの試合を見にスタジアムへ行っただけでなく、2004ユーロを見に一緒にポルトガルまで共に旅もした。
ヴェーバーさんとは、いつもブンデスリーガや育成指導など、フットボールの話をした。
1860ミュンヘン・ユースの日本遠征時、ヴェーバーさんは、1860ミュンヘンの団長で、遠征後は、私と二人で日本に残り国内を旅をした。
松本の私の実家にも遊びに来てくれたし、松本と長野でサッカースクールもしてくれた。
電話で、定期的に検査はあるものの、今は、大丈夫だと聞いてホッとした。
またミュンヘンに行き、ヴェーバーさんと一緒にヴァイスビアーを飲もう。
近いうちにミュンヘンへ行こう。

 

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