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ユーラシア大陸を陸路で横断したケルン体育大学時代の親友

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ドイツ・ケルン体育大学時代の親友テッチャンから電話があった。

 

彼は日本人。
彼が大学生の時、私と同時期にケルン体育大学に留学していた。

電話で用件の話を終えて、雑談になった。
彼がドイツから日本へ帰ってくるときの話を思い出し、久し振りに爆笑した。

彼は、ドイツから陸路で日本へ帰ってきた経験を持つ。
世界地図を広げると、ドイツから日本への陸路には多くの国が連なっている。
どこを通るのか、どの国を通るのか、迷う。
そんな中、彼は、その陸路での帰国を2回も達成している。

1回目は、ドイツからケルン体育大学のトルコ人親友を訪ねてトルコのインスタンブールが目的地。
そこから陸路でユーラシア大陸を横断し、確か中国を通って、最後は日本へ。
その旅に魅せられた彼は、またやると言い出し、2回目は、ドイツからロシアへ行き、その後シベリア鉄道に乗って東アジアへ向かい、最後モンゴルを経由して日本へ。

現地のバス、電車に乗り、ヒッチハイクもしたという。
ヒッチハイクでお世話になった方の家に泊めてもらったこともあるらしい。

2回目のシベリア鉄道では、4、5日間ずーっと電車移動。
シベリア鉄道で途中の駅に着くと、ホームにいた売り子から、電車の窓から魚の薫製などを買ったという。
その話は異次元で、爆笑の渦だった。
飛行機に乗れば、ドイツから日本は、12時間ほどで到着。
約半日あれば日本へ帰ってこれるのだが、彼は、確か、どちらの旅も、3週間から一ヶ月くらい掛けて日本へ帰ってきた。

 

昔、テレビで電波少年という番組があった。
その中で、猿岩石というタレントが、ヒッチハイクをしてヨーロッパまで横断するコーナーがあった。
いまや、ビックなタレントになった有吉さんは、当時ほぼ無名。
無名のタレントだからこそ、無理難題を突きつけられ、クリアしていく面白い番組だった。
テレビを見ていて、他人事で、危険と隣り合わせだからこその爆笑の連続だったが、自分には縁の無い世界だと思い、楽しんで見ていた。

 

テレビ、電波少年で見ていたような大陸横断は、なかなか現実のものとして考えずらい。
テレビだから出来るんだとも思っていた。
しかし、いわゆる普通の人、身近な親友が達成したとは、驚きであった。

日本を出て世界へ行ったからこそ、そのような仲間に出会えた。
この国の中だけで生活していたら、全く想像もつかない話だ。
しかし、世界は広く、日本とは異なった生活はごまんとある。

未来ある子供たちには、ぜひ、地球儀で日本だけでは無く、世界全体を見て育って欲しいと思う。
そして、是非、世界を歩いて欲しい、と願う。

 

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