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お世話になった方と最期のお別れ

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昨日、お世話になった方への最期のお別れに富山へ行ってきた。

 

 

故人には、大変お世話になった。

私は、大学を卒業して、ドイツ留学を決めた。

その為には、もちろん留学資金が必要だった。

そこで、彼が役員を務めていた建設会社で、住み込みのアルバイトをさせて頂いた。

バイト先は、長野新幹線(現北陸新幹線)の五里ヶ峰トンネル。

長野オリンピックへ向けた新幹線トンネルの工事現場だった。

 

 

私は、そこで数ヶ月間働かせてもらった。

私の仕事は、トンネル工事専用に作られた踏切の監視と掃除役。

そのトンネル現場から、常時、大型ダンプで土砂が運び出される。

そのダンプが現場を行き来する為には、必ず私のいる踏切を通らなければならない。

その踏切で、事故が無いように監視するのが私の役目だった。

 

 

毎朝5時に起床。

現場用ヘルメットを被り、一日中踏み切りで監視。

そして、工事現場から踏切まである数百メートルの工事専用道路を、竹ぼうきで清掃。

大型ダンプが走ると、かなり沢山の小石が道路に落ちる。

その小石が、道路脇の田畑に入らないように、竹ぼうきで掃き、拾い集め、一輪車で現場へ運ぶ。

根気のいる仕事だった。

しかし、現場で一緒に働く人たちと一緒に過ごした時間は貴重で、人間力を養うにも本当に良い経験をさせて頂いた。

こんな現場だからこそ、彼は私にさせてくれたのだと感謝しています。

 

 

私がミュンヘンにいた時、彼は仕事でミュンヘンに来たことがある。

私は、彼の仕事以外の時間、通訳を兼ねてサポートした。

毎晩、ドイツ料理、ギリシャ料理など、私の行きつけのお店にお連れした。

ミュンヘンの中でも、私のお気に入りの美味しい店で、食事とビール、ワインを堪能して頂いた。

彼は、豪快にお酒を飲みながら言った。

『 あんたに、こんな風に世話になるとは思わんかった。ありがとな〜  』

今でも忘れない、彼と過ごした印象的な一場面。

学生時代、体育会で育った彼は、ガッハッハ〜、と豪快に笑っていた。

 

 

私が日本へ帰ってきても、たまに彼と夕食を共にした。

富山のご自宅では船を持ち、自分で釣り上げた魚を地元の漁業関係者に渡すくらいの腕前を持っていた。

いつも刺身、焼き魚などを食べながら、魚の話、釣りの話を聞いた。

昨年、東京で彼にお会いした時は、ノドグロを食べながら、ドイツ話で盛り上がった。

 

 

昨晩、通夜が始まる前、大型テレビでNHKの特別番組が流されていた。

彼が陣頭指揮をとった関越自動車道のトンネル工事の番組だった。

『 自分達の仕事は、地図に載る仕事だ 』

こんな仕事を誇りにしていた故人。

私は、彼を仕事人として、また人生の先輩として尊敬していました。

生前、いつも応援してもらいました。

 

故人へ、あらためて心から感謝の気持ちを捧げると共に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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