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教え子ケンスケから学ぶこと

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夏休みで訪れた札幌。

そこで湘南ベルマーレ・ユース時代の教え子・ケンスケに会った。

 

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ケンスケは、今までに長野へ2度来ている。

1回目は、冬、スキーがやりたくて来た。

2回目は、秋、湘南ベルマーレ・ユース時代の仲間、ユウキとカイケンと共にやって来て、ドイツサッカースクールに参加してくれた。

スクール後には、我が家でバーベキューをし、焚き火を囲みながら皆で一杯飲んだ。

 

 

ケンスケは、今、大手企業の旭川支社に勤務している。

仕事を終えてから、電車で1時間半も掛けて札幌までやって来てくれた。

札幌駅近くの居酒屋へ行き、久し振りの再会を生ビールで乾杯した。

教え子と一杯できるのは、感無量。

俺にとっては、本当に嬉しい時間だ。

 

呑みながら今の仕事の様子を聞いた。

『 西村コーチなら分かると思いますが、僕の仕事は、サッカーと一緒です 』

今、営業を担当しているケンスケは、面白い事を言った。

それを聞いて、俺は、???だった。

俺なら分かるというが、どういうことか?

仕事の畑は全く違う。

 

ケンスケは、大学卒業後、直ぐに営業職に配属となった。

しかし、1年目、2年目は、営業成績が悪かった。

なかなか上手くはいかなかった。

しかし、3年目の今年はかなり好調と聞いた。

 

『  好調とは素晴らしいね 』 と俺は嬉しく言った。

すると、ケンスケは語る。

『 1年目、2年目に上手くいかなかったけど、その中で継続してやってきたおかげです 』

それを聞いた瞬間、俺が指導していた頃の教え子を思い出した。

 

サッカー界では、瞬間的なスピードは、大きな武器になる。

ケンスケはスピードが遅い。

大きなハンディキャップを持っていた。

スピードは、鍛えてようと思っても、なかなか速くなるものではない。

先天的な部分が強い。

しかし、長い距離を走る持久力は、鍛えようがある。

その為、ケンスケは、持久的な部分を徹底的に鍛えていた。

持久的な能力を上げるトレーニングは苦しい。

誰でも投げ出したくなる苦しさだ。

自分との戦いだ。

しかし、ケンスケは、持久的なトレーニングでは、いつも自分の限界にトライしていた。

酸欠になり、目を白黒させるまで、追い込む選手だった。

ケンスケは、身体能力が高くないというよりは、低い方の子だった。

それを自分なりに理解していた。

だからこそ、日々、限界までトライしてトレーニングをしていた。

技術についても、自分のレベルを上げる為に、チーム練習以外でも自主トレを欠かさない子だった。

自分に出来ることを、コツコツと全力でやり続けた。

 

 

ケンスケの仕事の話を聞き、彼が語った言葉が非常に印象的だった。

仕事は、サッカーと一緒。

ケンスケは、湘南ベルマーレで厳しく育ててもらったことに感謝していた。

俺たちは、サッカーだけではなく、「 人として 」という部分にうるさかった。

社会に出て活躍できる人材を育てようとしていた。

 

 

 

ケンスケは、俺が指導していた時、チームキャプテンだった。

あの年代では、4人がプロ選手になった。

彼よりも能力の高い選手が沢山いる中で、ケンスケは、キャプテンとして、チームのリーダーを担っていた。

プロサッカー選手になりたいと言う夢を持ち、直向きに頑張る。

その先、プロサッカー選手になるのは、ほんの一握りだけだ。

そんな中、ケンスケが、今、社会で活躍していることを嬉しく、誇らしく思う。

 

 

ケンスケのような人材を、サッカーを通して更に育てていこうと思いながら話を聞いた。

ケンスケ、ありがとう。

また会おう!

 

 

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